「最後に」 モンド闘病記【7/3~】

あれから1ヶ月が過ぎた。これをひとつの区切りとして、モンドの話はひとまず終わりにしようと思う。

 

モンドが息を引き取った日の夜は、床に布団を敷いて添い寝をした。もしかしたら夢に出てきてくれるかと期待したのだが、残念ながらそれは叶わなかった。

 

そして翌日、軽井沢の庭で送った。向かいのマシマさんに教えてもらったペット葬祭の業者を呼んだのだ。マシマさんも2年前に愛犬ジンちゃんを亡くしている。だから相談に行ったのだが、つらかった日々を思い出させてしまったようで、申し訳なかった。でも、わざわざ花を持ってモンドのお別れにも来てくれた。

 

新緑の緑、空の青、雲の白。夏らしく晴れた日だった。大好きだった軽井沢の庭の隅で、モンドは天に昇って行った。

動物病院の先生には、電話で報告をした。まさかこんなに早く逝ってしまうとは思わなかったと、大変驚いていた。そして、「でも、軽井沢の庭で遊べたんですよね。庭を走るモンドくんの姿が目に浮かびます」と言ってくれた。そう、つい2日前、モンドは庭を走っていたのだ。あまり速くは走れなかったけれど、足取りに弱々しさはなかった。緑に茂った芝の感触を確かめるように、遊びまわっていた。だいぶ芝が伸びていたので、刈ってあげよう。そうすればモンドもきっと喜ぶにちがいない。そう思っていた。

 

そして、その姿を写真に撮ろう。そのためにカメラも用意していた。とにかく撮れるだけ撮るつもりだった。まさか、そのカメラでモンドの亡き骸を撮ることになるとは思いもしなかった。

 

静かに横たわるモンドに寄り添っているうちに、なぜだか急に「これもモンドだ。写真を撮ろう」と思えてきた。庭を眺めるように眠るモンド。その体に手を添えるクニコ。花に囲まれて送られようとしているモンド。そして、軽井沢の青い空。そんな情景を、私は撮っていた。

 

撮った写真は、まだ全然見ていない。いつか振り返れる日が来るだろうが、今は無理だ。

 

私たちは、モンドの骨が入った白い壺と一緒に東京に帰った。壺の近くに、写真と首輪を置いた。少し切ってきたモンドの黒い毛も供えた。引出から、子犬の頃に抜け落ちた乳歯も出てきたので、これも置くことにした。

 

家にはモンドのものがいっぱいあった。がん用のフードやペットシーツなどは、後日、病院に持っていき、引き取ってもらった。病気の犬のために、少しでも役立ってほしいという、ささやかな願いを込めて。

 

そして1ヶ月が経った。

 

この頃つくづく思うのだが、私たちにとってモンドはまさしく「運命の犬」だった。結婚記念日に生まれ、私の誕生日にわが家にやって来た、黒いトイプードル。4匹同時に生まれた中に、オスは3匹いて、最初に見に行った時にわが家に来る候補になったのは、実は別の子だった。その後、「あの子、デベソだったから、別な子にしましょう」と言われて決まったのが、モンドだった。仮に、当初の予定どおり別の子が来ていても、その子はきっとモンドという名前になっていただろう。だが、私たちが9年間一緒に過ごしたモンドではない。モンドがわが家のモンドになってくれたからこそ、あんなにも楽しい思い出がたくさん作れたのだ。そう信じている。

 

素晴らしい日々を、本当にありがとう。

堀切 功(ほりきり・いさお)

 

1965年生まれ。雑誌編集の経験を活かして、写真撮影や出版編集を仕事にしています。

 

詳しくは[プロフィール]をご参照ください。

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